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「黙食で失うものってなんなんだろう」。想像力が欠如した発言ですねぇ

以前、Twitterで次のような投稿を見つけた。引用させていただく。

黙食で失うものってなんなんだろう。僕はボッチが好きなので言われなくても黙食ですが何も困りません。むしろ人とご飯を食べること自体ストレス。

学校では未だに黙食などという馬鹿げたことが行われているが、この御方は個人的な経験から、「黙食でもいいやん、何かアカンの?」と疑問を呈している。

では、アナタの疑問に答えて差し上げます。

黙食で失うものとは何か? まず、楽しい時間だ。

学校での給食時に限らず、美味しいものを食べながらワイワイ話すのは、単なる雑談の場面とは一味違った楽しさがある。社会人だって、ランチタイムは開放的になれる憩いの一時であり、10時や15時の休憩よりも話が弾む可能性は高い。

まあ実際、感じ方は人それぞれなので、食べながら話すのは別に楽しくないと思う人もいる。だが逆に、食べながらお喋りするのが楽しい人がいるのも事実だ。そういう人からすれば、黙食によって一方的に楽しみが奪われて(失われて)いるのは間違いない。

黙食で失うものは他にもある。社会的スキルを培う機会だ。

以前こちらの記事で書いたが、「一緒に食事をしながら話す行為」は一種の社会的スキルだと俺は考えている。黙食は、そのスキルを磨く機会を奪っている。

黙食で失うものってなんなんだろう? 僕はボッチが好きなので言われなくても黙食ですが何も困りません???

それってアナタの感想ですよね? 自分が黙食で何も困らないからといって、他の人も一律に同じだと思わないでほしい。こういうのを想像力の欠如と呼ぶ。